ビジネスの世界には、あらゆる危機が潜んでいます。バブル崩壊以降、一流企業の不祥事が相次いでいます。特に倫理面の不祥事に対するリスクは、企業の社会的信用を致命的に失墜させます。企業の不祥事は、企業と個人の双方に、極めて高いリスクを招きます。
罪の意識が欠如したホワイトカラー犯罪
1970年代、米国で急激に増加した先物取引による詐欺事件によって「ホワイトカラー犯罪」と呼ばれるものが顕在化しました。一般に、犯罪には「悪いことを犯してしまった… 」という罪の意識がありますが、このホワイトカラー犯罪は、会社の利益のための営業行為として、犯罪が通常の経済活動の一環として行われているため、罪の意識が欠如しているといった特長があります。
最近のホワイトカラー犯罪は、従来の業務上横領(つまり使い込み)のようなものではなく、大企業の構造と信用を悪用した巨額な詐欺罪へシフトしています。金額にしたがって量刑も重くなり、併合罪が加わると、とんでもない重罪になってしまいます。バブル時代の銀行の不祥事はきついノルマによる「収益至上主義」、証券会社の不祥事は経営陣や従業員が会社に忠誠を誓う「会社至上主義」といった、日本独特のシステムに端を発しています。サラリーマンが、いつ犯罪者になってもおかしくない時代なのです。
イチ個人の責任か
こういった不祥事は、単なるイチ個人の常軌を逸した行為なのでしょうか。事件を起こした人の良心の問題だといいきることができるでしょうか。不祥事を起こした企業の経営者は、「内部管理が徹底していなかったので…」という反省のコメントが多いようです。
このような経営者は、すでに犯罪の片棒を担いでいるのです。監督不行き届と片づけるのでは、なんの解決にもなりません。むしろそうした行為は、企業文化の甘さを反映している場合が多く、こういった不祥事ほど、その企業の性格を如実に表しているのではないでしょうか。
これを是正するためには、企業倫理について経営方針にしっかりと明文化し、経営トップが自ら実践していることを従業員に示すとともに、教育・啓蒙活動によってすべての従業員に浸透させていくことカ泌要です。
セキュリティポリシーと企業倫理
過去の経緯から、「労務管理」の一環として、倫理規定、企業行動規範、法律遵守(コンプライアンス)といったものが注目されはじめています。これらの規定は、前述したセキュリティポリシーの上位規定またはセキュリティポリシーの一部として構成されて機能します。
一部の日本企業では、欧米企業を参考にして倫理規定の策定・実践に積極的に取り組みはじめており、ウェブ上で公開している企業もあります(前頁表を参照)。しかし残念ながら、多くの企業は自社の倫理規定もなく、策定した企業でも実践の方法が十分に確立されているとはいい難いのが実情です。
日本企業と企業倫理
企業倫理は、日本企業にはなかなか根づかないといわれます。たしかに、日本企業では個人倫理を発揮できる余地はあまりないようですし、経営トップさえ周囲の目を気にするといった状態です。しかし日本企業が、フリー(自由)、フェア(公正)、トランスペアレント(透明)をキーワードとするグローバルスタンダードに合わせるには、ルールを守ることから改善していかなければならないのは明らかです。そのためには、倫理規定の制定・運用などによる「倫理の制度化」が絶対必要なのです。
では、効果的な倫理制度とはどういうものなのでしょうか。それは、何よりもまず管理体制を強化し、違反した者には罰則を課す(報奨制度を組み合わせた「アメとムチ」も効果的)ことによって違法行為を防止することにあります。
倫理規定は、「~すべき」「~したほうがいい」といった一般的・具体的な指示ではなく、「~しなければならない」という、企業の構成員が必ず従わなければならない強制的で義務的な命令である必要があります。ただ単に倫理規定を公布するだけではなく、社員教育のカリキュラムに企業倫理を導入し、世界的規模で企業倫理革命が進行していることを、すべての社員に徹底させなければなりません。
監査役の強化、倫理担当役員の制定、独立した内部告発のためのホットラインの導入(「見て見ぬふり」といった日本的価値観はグ・ローバルスタンダードではありません)なども検討する必要があるでしょう。ビジネスの世界には、ありとあらゆる危機が替んでいます。
その態様もさまざまですから、各個人がその場面ごとに自分で的確に判断し行動する必要があります。「どうやら自分はまずい取引に巻き込まれてしまったようだ。もし明日の新聞に掲載されたら、会社にどんな損害をまたは、損失を与えてしまうのかな。自分はどんな責任を負わされるのだろう?またどういった責任をとればいいのか?」この感覚が必要です。この感覚は、社内倫理規定やセキュリティポリシーの整備と社員数育によって培われます。
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